おぼろは校門まで行くと、そこに立つ若い男に何か話しかけているようだった。 タロからはおぼろの表情は見えなかったが、おぼろを見た若い男の顔が険しくなるのは見えた。 二言、三言ことばをやりとりすると、突然若い男がおぼろの肩をつかんで男といっしょに歩かせた。 それがタロの見たすべてだった。 おぼろと若い男が学校の外へ歩いて行き校門のかげで見えなくなると、タロは思わず校門の方へ走り出した。 ちょうどタロが校門のところにたどりついた時、学校の塀沿いのすぐ近くにとめてあった白い乗用車が発進するところだった。 その乗用車のボンネットが一か所へこんでいるのをタロは見逃さなかった。 そしてその助手席に一瞬おぼろの姿が見えた。 おぼろは無表情だった。 おぼろを乗せた乗用車はタロの前を通り過ぎ、みるみるうちに遠ざかっていった。 タロは乗用車の走り去った方を見ながらぼう然と立ちつくしていたが、すぐにわれに返ると職員室に向かって思いきり走ったのだった。 タロがすべてを話し終えると、教頭は無言のままタロの手から紙袋を取って中を見た。 教頭の顔はとても不機嫌そうに見えた。 職員室にいた他の教師たちもタロのまわりに集まって来ていたが、みな無言のままだった。 タロのとなりにいた明代は思わず教頭に言った。 「早く警察に電話してください。」 教頭はちらと明代の顔を見ただけで、持っていた紙袋を自分の横にいたひとりの教師にわたして聞いた。 「土山おぼろはどんな子どもですか。」 聞かれた教師はまず紙袋の中のハイヒールを見た。そして顔を上げると言った。 「おぼろは去年私のクラスでしたが、何というか、とても変わった子でした。悪さはしないのですが、とても個性的なものの考え方をします。」 教頭はそれを聞いてしばらく何か考えているようだったが、やがてタロの方に向き直ると、タロの頭の上に大きな手のひらを乗せてきっぱりと言った。 「警察には今から電話する。しかしそのおぼろはちょっと想像力があり過ぎると思うぞ。殺人犯とか誘拐とか、あまり物騒なことは考えるな。それから今度からはどんな小さなことでもいいから、先生に相談しなさい。ちょっとでも危ないと思うことは絶対にするな。」 タロは何と言っていいかわからずに、教頭が自分の前から電話の方へ歩いて行くのを見た。 あまりあわてた様子でもない教師たちとは対照的に、異常に不安がっているらしいタロの姿を見て、明代は声をかけた。 「おぼろのことだから心配ないと思うわよ。」 しかし明代もまた完全に落ち着いていられるわけではなかった。 明代の脳裏には、昨日の朝おぼろが運んでいたジャマ吉の死体のグロテスクな様子が浮かんでいたのだ。 それは何か不吉なことが起こる前兆のように、明代を不安にさせた。 教頭が自分のデスクに腰かけて受話器を持ち上げならぶつぶつ言っていた。 「校長先生が出張でいない時にまったく・・・。」 明代は突然、下駄箱で自分を待っているはずの雅子のことを思い出した。 そしてあわてて立ち上がると、足早に職員室から出て下駄箱に向かった。 雅子は不機嫌そうな顔で明代を待っていた。 「何でこんなに時間がかかるの。もう帰ろうかと思ってたわよ。」 不平をぶちまける雅子に明代は謝り、事情を説明した。 雅子は明代の話を聞くと、興味津々といった様子で言った。 「さっき校門のとこに立ってた男?あいつはユッキーのお姉ちゃんの彼氏だよ。」 明代は驚いて聞き返した。 「知ってるの?」 雅子は当たり前のように笑いながら答えた。 「町で何度も見たことがあるわよ。ユッキーのお姉ちゃんは派手で目立つしね。いつもあの男といっしょにいるじゃない。」 明代は雅子の腕を引っぱった。 「雅子、職員室に来て。もうすぐ警察が来るからそれを話して。」 明代のいつもらしからぬ強引な態度に雅子はびっくりした。 「いいけど・・・」 返事の途中だったが、明代は雅子を引っぱってどんどん職員室へと歩いて行った。 好奇心旺盛な雅子にとっては職員室に行くことは別にいやではなかったが、明代の様子が何かいつもと違うのを感じて、ややたじたじとなってしまった。 「お前の方から出てきてくれるとはな。」 男はハンドルを握りながら、助手席にいるおぼろに言った。 車は町中を抜け、山に入る道を進みつつあった。 おぼろは自分の前にランドセルをかかえて座っていた。 車の振動で揺れる以外は、身動きもせず前を見ている。 男がまたしゃべった。 「お前は昨日、一体何をしてたんだ。」 おぼろは前を向いたままだった。 車は山の中を進み、赤いハイヒールの落ちていた場所に近づいていた。 何も答えようとしないおぼろに、男の声が荒くなった。 「何かしゃべれよこら。」 どすのきいた声だったが、おぼろは無表情のまま前を見ていた。 やがて車は昨夜おぼろが男からハイヒールを奪った場所に来た。 突然おぼろが小さな声でしゃべった。 「雪野さやさんをここではねましたね。」 それを聞いて男が車を止めた。 「何だとこら。」 大声を上げて男はおぼろをにらみつけ、おぼろの腕をつかんだ。 「おれのやったことを全部知っているとか校門で言ってたな。おれがさやを殺したと言いたいのか。」 男の質問におぼろは答えなかった。そのかわりにこう言った。 「やっぱり雪野さやさんを知ってるんですね。」 「雪野さや」はユッキーの姉の名前だった。 男はおぼろの腕をつかんだまましばらくおぼろをにらみ続けた。 車の外では虫の鳴き声が辺りを支配していた。こんな山の中ではこのふたり以外には人の気配はまったくない。 突然男はおぼろがかかえていたランドセルを奪い取って後部の座席に放り投げ、おぼろの腕を強くつかんだまま、後部座席の足もとにもう片方の腕をつっこんで何かを探し始めた。 すぐにそれは見つかった。一束の太い縄だった。 男は助手席にいるおぼろの両手首を、おぼろの背中側でしばりはじめた。 小学生のおぼろと大人の男の力の差は歴然としており、おぼろに抵抗するすべはなかった。 おぼろは暴れることもなくただ無表情のまま男にしばられた。 「何だか知らないがお前は気に入らない。もう少し山奥に行ってお前も殺してやる。」 男は低い声で言った。 おぼろは無表情のままだった。 男は車から降り、助手席の方にまわってドアを開けた。 そして車の外から今度はおぼろの両足首をしばると、車のトランクを開けて、そこにおぼろをかかえて行き、放りこんだ。 「おれの秘密を知っているからには殺す。人に見つからない場所でな。お前の方から出てきてくれて感謝してるぜ。」 手足をしばられてトランクに横たわるおぼろに向かってそう言うと、男は勢いよくトランクを閉めた。 終始おぼろは無言のままだった。 男は運転席に戻ると、さきほど後部座席に放り投げたランドセルを取り、中から一冊のノートを取り出した。 そしてノートの表紙の記名欄を見てつぶやいた。 「六年つばさ組、土山おぼろ・・・。」 男は再び車をスタートさせた。 車は山奥へと進んで行った。 [つづく] |